愛媛プロレスは7月8日から、被災地支援活動で、毎日被災地へ足を運んでおります。
現場レベルで感じることがたくさん。現場の状況を、ありのままにレポートしたいと思います。※以下の詳細は、愛媛プロレス代表のキューティエリー様からの情報です。
7月8日に野村町吉田町物資お届け弾丸便から帰宅。
7月8日夜の時点
●主要道路が復旧
●市役所や公民館に物資が届き始めていると情報あり
これらの状況より、もう物資の心配は無いと判断。
実際に西予市役所は“物資の受け入れはお断りしたい”と言うお返事。各避難所の責任者の方からも、“物資は足りている”と言う連絡もいくつかありました。
翌日は、もしかしたら必要になるかも…という推測判断で、愛媛プロレススポンサーネクスポイント様からの除菌アルコールとボディーシートをミニバン1台分だけ乗せ、吉田町へ。
なぜ吉田町かというと、前日の情報収集の時点で吉田町の消防団の方M様とO様、2名と直接ご連絡ができる状態だったため、他の街よりも情報が確実だろうと思い、決定しました。
ライジングHAYATO含む愛媛プロレス選手2名で、前日も吉田町の各避難所に受け入れ手配を担ってくれた消防団のO様と話し合い、吉田町明浜周辺で泥撤去と運搬。
ライジングから送られてきた現場写真。


情報から“人手が必要”と感じ、現地に送る手配を開始。翌日からの人手の確保やボランティアの受入先などを調べている…愛媛プロレスKOSHI(四国中央市のレスラーなので、マスクから古紙=新聞紙が出ています)から連絡。
KOSHIの奥様の友人から物資がない状況で集落全体が困っていると連絡が。
『え?!物資は続々集まって来ているのでは?』
【物資はもう足りている】という被災2日目(7月9日)の朝の情報から、人手のみの供給を調べていたので、慌てて各方面から情報を集めていると
●市役所や大きな公民館で物資が滞留
●被災集落まで届いていない地域が点在している
このような状況が見えてきました。
KOSHIに連絡をくれた女性(Y様)のLINEをGET。確実な情報が欲しいため、直接、状況確認。
●集落の被害状況●集落のおおよその人数●必要な物資。
※実際のY様とのLINE。ご本人にご承諾いただきは発信しております。


ここで問題発生。物資はもう必要ないと判断していたので手元にはNo物資。
考えて思いついたのがWstudioREDの佐伯オーナー。バンドマンからアニキと慕われてる方です。REDでは、ジャパハリネットの鹿島様中心に支援物資を集めて被災地に送っていらしゃる活動を開始されていました。私は佐伯オーナーと、被災日当日に道路状況や物資状況について情報共有をしていました。
佐伯オーナーに事情を説明。物資を分けてもらえないかと伺ったところ、速攻OK!『今すぐ取りに来て』と、スピーディな対応。REDに行くと、松波雄大さんが。『おーエリーちゃん!』という感じで温かく受け入れて下さいました。
物資をGETして、吉田町の消防団の方に連絡。集落とYさんと連絡を取っている旨を伝えて、避難所ではなくし直接被災地に物資を届けても構わないか確認、承諾いただく。そのうえで、Yさんと相談し、時間を決め、集落の方を一カ所(Yさん宅)に集めていただき、私たちの到着を待っていただくことに。
翌日、軽トラ1台とミニバン1台で吉田丁へ。●現地での渋滞を避けたい●2トンは道路状況から通れない恐れがあるため、この車で行くことを決定。
避難所よりも奥の被災地は、想像を絶する被災度合いで、同じ愛媛県でこのようなことが起きているなんて、ただただ自然の驚異に驚くばかり。
現地は砂ぼこりが舞い、マスク必須。
現地でYさんと合流♡
ご自宅がお水に浸かっているいる状況。この集落は、建物の倒壊や泥の侵入などの被害は大きくないのですが避難所から離れていることと道路復旧の関係で物資が足りていない状況。続々と町民が集まってきて、みなさん控えめに、お水やカップヌードルをそれぞれ持って帰られます。
愛媛プロレスメンバー、ご自宅までの運搬もサポート!
Yさんの提案で隣の集落にも物資を持っていくことに。そこで待っていて下さったのは、浅野修一市議会議員様。携帯番号交換をするも、浅野様の携帯は、この時点では電場状況が悪く使えない状態…。まだまだ現地は混乱していました。


物資受け渡し完了後、吉田町の奥南公民館で消防団の方と合流。そのあと被害の大きい地域に行き、ドロ撤去作業をサポート。ここで私は初めて、家屋内に泥が入ってきている状況を目の当たりにしました。


もし自分の家がこんな状態になったら…と、今被災されている皆様の心中を想い、胸が詰まりそうな気がしました。各民家でそれぞれ頼まれたことをこなしていくレスラーたち。畳をバールではいで外へ持ち出す。泥を吸って重たいだろう畳でも、何枚も1人で運んでいきます。




家財道具も運び出していきます。
泥水も、かき集めると重い。バランスを保ちながら運んでいきます。




“泥が床上を覆った木造家屋は3日以内に泥を撤去し水で綺麗にしなければ家の土台がだめになる”
現地でお会いした建設会社の方から聞き、一軒でも多くの家の泥を早く出していけるよう、必死で作業を進めていきました。
炎天下。自分に体力があれば…と無力さを痛感するところですが、現地の方々に喜んでいただけたことが少しでも救いです。
また、4日目(7月11日~)のレポは、執筆次第、更新して参ります。
Never Give Up Ehime!!